冷凍食品の歴史

躍進を続ける冷凍食品のクロニクル

これまでめざましい進化を遂げてきた冷凍食品。そのはじまりはいつなのでしょうか。

アイスクリームを冷凍食品というカテゴリーに入れるなら、17世紀にはイギリスのチャーチル1世がクリームや卵を混ぜたものを作らせていますし、平安時代の貴族も清少納言の『枕草子』によれば、削った氷に甘葛(あまづら)と呼ばれる樹液のシロップをかけて食べていたことが記されています。かき氷の原型については紀元前の世界でも食されていたという文献もあるほどです。

以下に並べた年表では、アイスクリームや氷菓を除いた冷凍食品の近代日本史に絞り込み、およそ100年前からスタートさせていただきます。『FanFunFrozen編集部』の独断と偏見により、当時の時代を反映する事件やイベントを振り返りつつ、冷凍食品に関連するエポックな出来事から、マニアックな催しまでをご紹介してきます。

 

大正~昭和(戦前・戦中)

1920年 北海道で凍結魚の生産工場が建設され、国内で本格的な食品冷凍が始まる

1923年 関東大震災後の食料不足を救うため、冷凍魚が無償で配られる

1929年 国内でドライアイスが生産開始

1930年 日本初の市販用冷凍食品とされる「イチゴシャーベー」が阪急百貨店で販売

1935年 東京の三越本店などで冷凍魚介類を製品化した「家庭凍魚」が販売される

1941年 太平洋戦争開戦により、海軍への凍結野菜などの納入が急増していく

1944年 巨大な冷凍冷蔵庫を持つ大型給糧艦「間宮」が太平洋戦争にて沈没

 

昭和(戦後)

1948年 「ホームミート」などの調理冷凍食品が白木屋デパートで販売される

1952年 渋谷の東横デパートに冷凍食品売場がオープン。のちに凍果ジュースが人気を博す

1956年 志賀直哉、武者小路実篤ら著名人を集めての冷凍食品試食会が開催される

1957年 国内初の南極観測隊へ、冷凍野菜や茶碗蒸しなどの冷凍食品が納入される

1964年 東京オリンピック開催。世界中から集まる選手の食料確保のため冷凍食品が活用される

1969年 電気冷蔵庫の普及率が8割を超える

1970年 大阪万博のセントラルキッチンで冷凍食品が活躍。以後、外食産業への展開が広がる

1986年 日本冷凍食品協会が「冷凍食品10,000人の大試食会」を開催

 

平成以降

1889年 冷凍焼おにぎりが商品化され、ヒット商品に

1993年 電子レンジ普及率が8割を超え、翌年レンジ調理できるコロッケが人気に

1999年 自然解凍で食べられるお弁当向け冷凍食品が発売される

2011年 東日本大震災で冷凍食品メーカー各社も工場などに被害

2016年 南青山に冷凍食品専門店「ピカール」1号店がオープン

2018年 1世帯当たりの冷凍調理食品の年間支出額が過去最高に

2019年 元号が令和に。『FanFunFrozen』がオープン

 

すいません、最後にちゃっかり入れてしまいました(笑)

今後、この冷凍食品の年表は更新・追加していくとともに、個々の出来事にもクローズアップしていく予定です。冷凍食品のエキスパートをはじめ、各分野の歴史に詳しい方々にもお話を伺いつつ、より濃密な冷凍食品の沿革を皆さまと共有できればと願っております。

 

これより、それぞれの時代の冷凍食品にまつわるエピソードについて、もう少し詳しく触れていきます。

歴史(大正~昭和終戦)

大正~昭和(戦前・戦中)

時は大正8年(西暦1919年)、葛原猪平という人が葛原商会を設立し、翌年には北海道の森町に急速凍結設備を持つ工場を建設しました。この工場(現・ニチレイ子会社)で本格的に凍結魚を生産し、国内外の産地や消費地である東京・大阪にも冷蔵庫を建設、さらに獲れた魚を冷凍したまま輸送するための大型輸送船も造り、新鮮な食料を届けるための「コールドチェーン」の礎を築きました。

冷凍魚が市場に出回り始め、葛原商会が葛原冷蔵に改組してしばらく経った大正12年(1923年)、東京一帯は関東大震災に見舞われます。被災者を食料難から救うべく、葛原冷蔵は貯蔵していた冷凍魚200トンを放出。冷凍食品の始まりである冷凍魚が人々に認知されるきっかけとなりました。

 

昭和に入ると、戸畑冷蔵(現・日本水産)が開発した、イチゴの果肉を凍らせた「イチゴシャーベー」が大阪・梅田の阪急百貨店で発売されました。このイチゴシャーベーは、市販用として初めて販売された冷凍食品と言われています。その後、マンゴーやパパイヤなどの凍果商品も販売され、好評を博しました。

昭和10年(1935年)には冷凍魚も商品として、東京都内のデパートなどで販売されました。「家庭凍魚」のネーミングで売り出された切り身の冷凍魚は、魚類の絵葉書と一緒に三色刷りの紙箱に入っていました。しかし、当時は家庭用の冷蔵庫がまだ普及しておらず、店頭に置かれた冷蔵ケースが頻繁に故障するなどトラブルも多く、日持ちのしない一般家庭向けの冷凍魚は数年で消えてしまいました。

一方で、陸海軍への冷凍魚や冷凍肉の納入は次第に増えていきます。昭和12年(1937年)に日中戦争が始まると、大量の食料を保存するために国内や占領地に冷蔵倉庫が次々に建設されました。戦時下で缶詰用のブリキが不足していく中、冷凍食品は組立式の冷蔵庫を使ったり、納入業者が軍隊の前線へ運んだりして補給していたようです。

 

太平洋戦争が現実味を帯びると、海軍からの凍結野菜や果実の需要が急速に増えていきます。長い航海中に艦内の冷凍冷蔵庫で保存できるのはもちろん、可食部分だけの冷凍食品は、狭いスペースに多くの食料を積み込めるというメリットがありました。ちなみに、軍艦には弾薬が暴発するのを防ぐための冷却装置があり、その余力を冷凍冷蔵庫に活用していたようです。

なかでも巨大な冷凍冷蔵庫を有し、艦隊への食料補給を主な任務とする大型給糧艦「間宮」は、アイスクリームやラムネ、羊羹などの嗜好品も製造・販売していたため、前線で戦う兵士たちに士気と癒しを与える存在でした。しかし、間宮も昭和19年(1944年)、アメリカ軍の潜水艦の魚雷を受け、多くの乗組員とともに冷たい海の底へと沈んでいきました。

昭和20年(1945年)、終戦。しばらく量の確保に重きを置いていた冷凍食品は、これ以降「便利さ」「美味しさ」を追求していくことになるのです。

歴史(大正~昭和終戦)

昭和(戦後)

戦後は調理済み冷凍食品が世に出はじめ、まず昭和23年(1948年)に白木屋デパートが、冷凍野菜に牛肉や豚肉を混ぜて詰めた「ホームミート」という名称の調理冷凍食品を販売。昭和27年(1952年)には渋谷の東横百貨店(現・東急百貨店)に冷凍食品売場が設けられ、日本冷蔵(現・ニチレイ)の冷凍茶わん蒸しが人気商品となりました。

翌年、東横百貨店では冷凍イチゴや冷凍みかんをミキサーでジュースにして販売。このジューススタンドが人気となり、冷凍モモ、冷凍パイナップルと果物のバリエーションを増やし、他のデパートでも売場を展開することになりました。

 

冷凍食品の生産が急速に増えたのは、学校給食がきっかけでした。昭和30年代に入ると、ブランチ(湯通し)された野菜やイカなどを短冊状に切ったスティック類が量産され、特に日本冷蔵の「三食スティック」は彩りも豊かで当時のヒット商品となりました。

 

昭和32年(1957年)には日本で初めての南極観測隊の食糧として、観測船「宗谷」に大量の冷凍食品が積み込まれましたが、その運用は順風満帆とは行かなかったようです。

酷暑のインド洋航海では冷凍庫の冷却温度を維持するのに骨が折れ、一部の食材にはカビが生えてしまいました。気温が低いと思っていた南極でも、外に置いておいた冷凍食品は軒並み溶けてしまったそうです。この苦い経験が活かされ、冷凍食品は今も南極観測隊には欠かせない存在として活用され続けています。

この頃、日本水産、加ト吉水産(現・テーブルマーク)、日魯漁業(現マルハニチロ)等の水産業大手がフライ類などで冷凍食品事業に参入していますが、まだまだ冷蔵庫が一般家庭に普及し始めた時代です。小売店に冷凍ショーケースを貸与する等して、家庭用冷凍食品の普及に努めていたメーカー各社ですが、軒並み苦戦を強いられていたようです。

 

東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)には、世界中から集まる選手団の胃袋を満たすため、冷凍食品が活用されました。食材を生鮮食品に頼り、短期間で大量に調達しようとすると、物価が高騰するおそれがありました。提供する料理が、旬の食材に片寄ったものになってしまうのも理由のひとつです。

選手村食堂の料理長に就任した帝国ホテルの村上信夫氏は、戦後のシベリア抑留時に、凍ったジャガイモを美味しく食べるための解凍方法を会得していました。極寒の地での経験と同僚・白鳥浩三氏のアメリカ仕込みの冷食の最新知識を活かして作った料理は、当時のオリンピック担当相だった佐藤栄作・元首相も太鼓判を押すほどでした。この東京五輪をきっかけとして、ホテル業界は大型冷蔵庫を次々に導入していきました。

 

続く国際的なイベントとして昭和45年(1970年)の大阪万博が挙げられますが、ここでも業務用冷凍食品が活躍します。押し寄せる来場者を捌くため、あらかじめ調理した料理を冷凍して大量にストックしておき、会場に運んで食堂で解凍して客へ出すセントラルキッチン方式を採用したのです。万博会場ではカレー、ミートソーススパゲティ、お好み焼きなどの冷凍食品が活躍したそうです。

これよりファミリーレストランなどの外食産業では、業務用冷凍食品の需要が急激に伸びていきました。万博直後には味の素が冷凍食品市場に参入。家庭用向けに餃子やハンバーグ、エビグラタン等、12品目を発売しています。

 

話は前後しますが、昭和40年(1965年)には時の政府も、生鮮食品を運ぶための「コールドチェーン(低温流通網)」が、日本人の片寄った食生活を改善させるために必要と判断。この気運に大手食品メーカー、小売店、さらには冷蔵庫を開発する家電メーカーが乗っかり、家庭向けの冷凍食品も成長を遂げることができました。

フリーザー付き冷蔵庫が一般家庭にも普及するようになる頃には、スーパーマーケットでの冷凍食品の取り扱いも増え、その品目も急激にバリエーションが広がっていきました。

 

昭和48年(1973年)と昭和54年(1979年)に始まった2度のオイルショックによる電力料金の大幅値上げでは、冷凍食品業界も大打撃を受けましたが、値上げによる売上減少を極力抑えながら、魅力ある商品開発等でこれを乗り切りました。

 

冷凍食品が主役のイベントとしては、昭和61年(1986年)に一般社団法人 日本冷凍食品協会が主催となり、東京・恵比寿にて大規模な試食会を開催しました。その名も「冷凍食品10,000人の大試食会」で、冷凍食品4トンを使った和・洋・中の料理が饗されました。ボーイがテーブルに運ぶ前に料理がなくなるほどの大賑わいで、翌日(10月18日=冷凍食品の日)の主要な新聞にて大きく取り上げられました。

戦後の昭和は、関連団体や冷食メーカーの地道な普及活動や努力のもと、経済の急成長とともに、冷凍食品の生産が飛躍的に伸びた時代でもありました。

歴史(大正~昭和終戦)

平成

年号が平成になると、家庭用冷凍食品のヒット商品が次々に登場します。

朝の忙しい時間帯に電子レンジで解凍するだけの冷凍焼きおにぎり(ニッスイ等)。生産が追いつかないほどにブレイクした冷凍そばめし(マルハニチロ)。1988年の瀬戸大橋開通から知名度を上げ、2002年の讃岐うどんブームに乗って販売数を拡大した冷凍うどん(テーブルマーク)。いずれもロングセラー商品として今も食卓に上り続けています。

冷凍食品の解凍・調理方法にも変化が見られました。平成6年(1994年)にはニチレイが電子レンジ調理できる冷凍コロッケを発売。今まで主流だったオーブントースターでなくても、サクサクな衣を実現できるエポック商品となりました。平成11年(1999年)には日本水産が自然解凍できるお弁当用の冷凍食品を提案し、冷凍食品の利便性をより広めるきっかけとなりました。

 

あえてネガティブな出来事を紹介すると、平成14年(2002年)の中国から輸入した冷凍野菜の残留農薬問題、平成20年(2008年)にも中国産の餃子等から農薬や殺虫剤等の有害物質の混入が相次ぎ、平成25年(2013年)には工場従業員による農薬混入事件が起こりました。そのたびに冷凍食品市場は信頼の回復に奔走しなければなりませんでした。冷凍食品メーカー各社は生活者に安全な食品を提供できるよう、危機管理や品質保証の面で体制を強化し、徹底した運用を行っています。

 

そして平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災が発生。

戦後最大の大津波により、東北・関東地方にある冷食メーカー各社の工場や物流センターも、従業員の尊い人命をはじめ、建物や設備にも甚大な被害がありました。各社は生産・物流ラインの復旧活動と並行し、食品の無償提供や炊き出し活動等、被災者への支援を行い、今日まで東北復興に向けた様々な施策を展開してきました。冷凍食品の原材料に使っている東北産食材も、支援の一役を担っていると言えます。

 

近年ではバラエティ番組でも冷凍食品を取り上げる機会が多くなったせいか、スーパーやコンビニエンスストアでも冷凍食品売場を拡大する傾向にあり、便利で美味しい冷凍食品への需要がいっそう高まっているようです。

平成28(2016年)には南青山にフランスの冷凍食品専門店「picard(ピカール)」が初出店。平成30年(2018年)には無印良品が冷凍食品を売り出し話題を呼ぶなど、スーパーに並ぶ冷凍食品とは一線を画した高級路線も目立つようになりました。

 

まだまだ成熟したとは言えない冷凍食品市場に、今後も目が離せません。

 

ところで、2019年の大河ドラマ『いだてん』は、明治・大正から昭和までの近代オリンピックを中心とした話でしたが、冷凍食品をテーマにしたドラマや映画があってもいいんじゃないかと思っています。関連する様々な文献を読んでいるだけでも「冷凍」という冷たい響きの語感とは正反対の、冷凍食品に人生を賭けた人々の熱い情熱が感じられてくるからです。

さて、時代は『令和』へと移りましたが、くしくも「冷凍食品」の「冷」と読みも「令」という要素も共通しています。ますます冷凍食品が発展していく時代になりそうな予感がします。こじつけではありますが、これからも進化を続けていく冷凍食品に、いちファンとして大きく期待しています。

<参考文献>
野口敏『冷凍食品を知る』丸善
小原哲二郎 [ほか]『最新冷凍食品事典』朝倉書店
村瀬敬子『冷たいおいしさの誕生 : 日本冷蔵庫100年』論創社
加藤舜郎『日本食品低温保蔵学会誌』VOL.16 NO.3 「敗戦前15年間の食品凍結事業の回想」日本食品保蔵科学会
『戦艦大和&武蔵と日本海軍305隻の最期』綜合図書
野口正見, 白石真人『ぜひ知っておきたい日本の冷凍食品』幸書房
南極OB会編集委員会『南極観測船「宗谷」航海記―航海・機関・輸送の実録』成山堂書店
村上信夫『帝国ホテル厨房物語 日経ビジネス人文庫 私の履歴書』日本経済新聞社
『酒類食品統計月報』昭和45年4月号 日刊経済通信社
内閣府『主要耐久消費財等の普及率』
『缶詰時報』VOL.49 NO.3
比佐勤『こんなこともあった : 冷凍食品発展の側面史』冷凍食品新聞社
総務省統計局『家計調査』
『冷凍食品物語 = Frozen food history : 商品の変遷史 : 1945-2014冷凍食品年表 第5版』冷凍食品新聞社